「動かなきゃ」「がんばらなきゃ」が疲れるあなたへ
忙しい日々の中で、ふと立ち止まって「何もしたくない」と思ったことはありませんか?
それなのに、何もしないと「怠けてる」「サボってる」と感じてしまう――。
そんなとき、私たちは知らず知らずのうちに「能動的であること=正しい」という思い込みに縛られているのかもしれません。
でも実は、「何もしない」ことにも深い意味があるんです。
今回は、「受動的パラダイム(無色)」という少し不思議な考え方を通じて、“ただ在る”ということの力を一緒に見つめてみましょう。
「パラダイム」ってなに?
まず「パラダイム」とは、「ものごとを見る枠組み」や「考え方の前提」のこと。
たとえば、
- 「努力すれば報われる」
- 「自分の価値は成果で決まる」
こうした考え方も一種の“パラダイム”です。
私たちは日々、知らないうちに特定の価値観に従って生きています。
でも、その“当たり前”を一度疑ってみることで、新しい世界の見方が開けることがあります。
「受動的パラダイム」ってどういうこと?
「受動的」と聞くと、ちょっとネガティブな印象を受けるかもしれません。
でもここでいう「受動」とは、「何もしない」ことではなく、自分に起きてくることを、ただ受け取る態度のこと。
たとえば――
- 雨音を聞いて、ふと気持ちが落ち着く。
- 子どもの寝顔を見て、何ともいえない温かさに包まれる。
- 忙しさの合間に、ただ空を見上げて深呼吸する。
これらはどれも、「何かをしよう」としていない瞬間です。
でも、確かに“何か”を感じていて、それは私たちの心や身体に作用しています。
このような状態を大切にするのが「受動的パラダイム」なのです。
「無色」って、何もないってこと?
記事の中にある「無色」という表現。
これもとても大切なキーワードです。
「無色」は「無価値」ではありません。
それは、**どんな色にも染まれる“余白”や“透明さ”**のこと。
たとえば――
- 白いキャンバスは、どんな絵でも描ける可能性を持っている。
- 無地の服は、どんなアクセサリーとも調和する。
- 透明な水は、どんな容器にもフィットする。
私たちも、「私はこうあるべき」という色眼鏡を一度外してみると、
“ありのままの自分”に戻れる瞬間があります。
無色でいるということは、誰かの色になる準備ができていること。
それは、とても柔らかくて強い在り方です。
日常生活の中で「受動的パラダイム」を生かすヒント
ここまで読むと、「それって要するに“ぼーっとする”ってこと?」と思われたかもしれません。
でも、受動的パラダイムは単なる“何もしない”ではなく、「感じ取る力を取り戻すこと」に近い感覚です。
たとえば、こんな場面で取り入れてみてください。
① 朝、コーヒーを飲むとき
スマホを見ずに、香りや温かさに意識を向けてみる。
→ “受け取る”ことが感覚を研ぎ澄まし、心が整っていく。
② 会話の中で、あえて沈黙を待ってみる
誰かと話すとき、すぐに返事をしようとせず、相手の言葉をただ聴く。
→ 沈黙の中に相手の本音がこぼれる瞬間がある。
③ 帰り道、空を見上げる
目的地に急がず、空の色や風の冷たさを感じる。
→ 世界はいつも変化している。それを“味わう”余白を持つ。
「能動」と「受動」は、本当はペアで働いている
もちろん、私たちの生活には「能動的に動く力」も欠かせません。
でも、常に走り続けてばかりだと、どこかで息が切れてしまいます。
受動的であることは、“立ち止まる勇気”であり、“今ここ”を感じる感性。
それは、本当に動き出す前の「溜め」のようなものなのです。
風を受ける帆のように、光を映す鏡のように。
私たちも“受けとる力”を取り戻すことで、人生はもっとしなやかに進み出します。
最後に──「在る」ことに価値を見出す
いま、世の中は「成果」や「発信」ばかりが重視される時代かもしれません。
でも、あなたがそこに「在る」だけで誰かの安心になっていたり、
何もしていない時間が、心と身体の栄養になっていたりすることもあるんです。
だから、ときには勇気を出して、
“何もしない”という選択をしてみてください。
きっと、そこには新しい自分との出会いがあります。
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